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總本家 大諸居拓吾郎商店はてな店様駐車場内臨時露店

〈現実〉戦後バラック闇市風味(理想は激渋昭和りんご飴露店風)露店から、 当方の所感特輯を発信をばさせて頂きます。

阪神大震災 22年(あの時の関西圏部外者) 後半

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今晩は。

 

(あの時の関西圏部外者) 後半

へ  入ります。

 

まず、西方向に合掌、 しました。

 

それから、youtubewikiなどで

当時の事を確認してみましたが、

当日朝6時台に他より遅れて

神戸震度6と放送されていました。

震度7(激震)と訂正されるのは

もっと後日になってから

だったようでした。

 

当時は烈震(震度6)、強震(震度5)

とも呼んでいました。

 

当日のNHKの宮田アナは本当に

ご苦労様でした。

朝5時台の地震直後からほぼ

一日中この人がニュースを

読んでいたわけですから。

 

当日からその後数日に亘る

激甚の災害は、youtubegoogle

画像で当時私たちがテレビや

雑誌を通して見たままを

若い人たちも確認できます。

 

今見ても涙が溜まる。

 

それからも避難所での生活や

半壊した自宅などでの耐乏生活

が長く続き、借金をして

自宅等を修繕し、本当に

大変だったと思います。

 

‥ 。

その後神戸の人と関わる事も

あり、教訓なども教わったが、

あの時の大変な事を殆ど

話す人はいなかった。

 

‥ 。

私達はあの日以降、

全国で世界で昭和末期や

平成初期には聞いていても

現実に起こるとは及びも

つかなかった多くの災害を

目にしてきました。

 

 

しかし、

あの時のあの震災は、

あの時も、今でも、

私達に災害に対して

警戒と備えを疎かにするな

と教えてくれた

いつまでも「原点」であり、

 

私達は

あの日あの時あの所で頑張り抜いた

あの人達の勇気と努力を

 

 

 

 

絶対に忘れない。