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阪神大震災より22年(あの時の関西圏部外者)後半

 
 
ⓒ1995 神戸市 CC BY 2.1 jp
 
 
鎮  魂
 
あの阪神大震災より早22年、止まらぬ時は光陰矢の如く残酷と雖(いえど)も、その部外者たれど当時同じ関西圏に居たる者として、静かに西の方角に向きて黙祷す。
 
あの時の後(のち)も内外にて幾度と大災害を目にし、荒ぶる地上に生きたる我等なれども、平成の防災の『原点』たるあの日を忘るる事無し。   ~どうぞ安らかに~
 
 
 

今晩は。 前回に続きまして、阪神大震災より22年(あの時の関西圏部外者)の後半へ入ります。

 

まず、西方向に合掌、 しました。

 
 

それから、youtubewikiなどで当時の事を確認してみましたが、当日朝6時台に他より遅れて神戸震度6 と放送されていました。震度7(激震) と訂正されるのは、もっと後日になってからでしたね。

 

当時の震度呼称では、烈震(震度6)、強震(震度5) とも呼ばれていました。

 

当日のNHKの宮田アナは本当にご苦労様でした。朝5時台の地震直後からほぼ一日中、この人がニュースを読んでいた訳ですから大変だった。

 
 

当日からその後数日に亘る激甚の災害は、youtubegoogle画像に依って当時、私たちがテレビや雑誌を通して見たままを若い人たちでも確認出来ます。

 
少 々 拡 大 可
 

あの時の神戸の映像&画像の数々は、ずっと見ていると今でも涙が溜まります。

 

それからも、避難所での生活や半壊した自宅などでの耐乏生活は長く続き、また借金をして自宅等を修繕し、本当に大変だったと思います

 

‥‥‥ 。

 

その後は神戸の人と関わる事もあり、教訓なども少々教わりましたが、ただ、あの時の大変だった事を話す人は殆どいませんでした‥。

 
ⓒ1995 神戸市 CC BY 2.1 jp
 

‥‥‥ 。

 

私達はあの日以来、油断していた昭和末期~平成初期には教訓話を聞いてはいようとも現実に起こる、とは及びもつかなかった色々の災害を、全国で世界で現実に何度も目にし、恐ろしいと言える時代に生きています。

 

従ってあの時のあの震災は、あの時も今でも、

 

私達に災害に対して 警戒と備えを疎かにするな と教えてくれる、いつまでも「原点」なのであり、私達は あの日あの時あの所で頑張り抜いたあの人達の勇気と努力を、

 
 
 

絶対に忘れない。

 
 
 
C次郎筆