東日本大震災、2011年3月11日のあの頃 (福島について)
岩手日報3月11日朝刊広告の文言、ノーマさんの詩(Norma Cornett Marek [米])と写真に泣けました、やはり縦書きが染み入る! 皆様の心と身体の快復、東北の一日一日の復興と発展を願っています、次の子世代の幸福の為に!
今晩は。(;_;) 自分の関心が、3月10日までは国際女性デーや東京大空襲など他にも色々と考えていましたが、3月11日以降は、今日(20日)まで東日本大震災一色なのです‥。一体私たちをどれ程の深い影で覆うているのか‥。
近くだった福島第一原発から避難を続けてゴーストタウンとなっていた町の一部、海側の中心部は今3月31日に避難指示が解除されるとの事。合わせて、長らく不通になっているJR常磐線残りの一部、浪江駅から小高駅までが運転再開する予定、との事です。また再び住むつもりか否かは半々に意見割れ‥。でも郷土返還は吉報と存じます。
2011年の3月12日の早朝に、テレビで浪江町と南相馬市を知った。ヘリで津波にやられた海岸近くを映していた。確か請戸漁港や南相馬市と言っていた。夜が明けて津波に呑まれた人を捜索するはずだったのに、午後に福島第一原発の水素爆発があって自衛隊や警察でさえ避難となって、津波の犠牲者は見殺しになった。その日から福島は原発しかやらなくなって、請戸や浪江町、南相馬の名は宙ぶらりんになって、ずっと気になっていたものだった‥。
3月11日から3月20日位までの10日間位は、有り得ない出来事の連続で、あれは本当に日本ではなかった気がする‥。その頃は確か仕事や必要事以外はほぼテレビを見ていたが、その辺り当時(2011年3~4月)の自分の口癖は、「ばかやろう、ばかやろう、会社員じゃねえんだぞっっ!!!」だった‥。自衛隊の投入人数、前述の見殺し、原発での数々のやり取り、「直ちに問題ではない」の言い回し‥otz東にっぽんオワタ‥。
どれを取っても政治家や総大将のそれではなく、会社員の体(てい)に思えた。非常時に有り得なかった。涙ぐみながらその絶望的な10日間ほどを、ただ『ばかやろうばかやろう』と連呼するしかなかった‥。
‥福島だけは、原発のためにかなり特異だった‥。放射能によって目茶苦茶になった。しかし吉報はもたらされて、2020年頃に十年かかって土地が全部還ってくるようです。がんばって福島!! さて、日本はお年寄りが一層増える予測らしいから、今後は突発の避難行でお年寄りを疲労(過労)死、衰弱死、置去り死などの悲劇に再び三度巻込む様な哀史が起こりませぬ様に‥。そして色々とうまく復興が出来ます様に‥。
‥原発以外‥。他に町人口を養える産業って何があるのかな‥。あの場所で民間が(最有力有志が)進出してくれて、それで‥福島の為に、継続操業をしてくれないものかな‥。がんばれ福島!! がんばれ東北!!